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「ミッドウェー 運命の三秒間」 [戦史]

ミッドウェー―運命の三秒間 (1971年)

ミッドウェー―運命の三秒間 (1971年)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: サンケイ新聞社出版局
  • 発売日: 1971
  • メディア: -
太平洋戦争において、その後の展開を決定付ける戦いとなった「ミッドウェー海戦」についての解説本で、背表紙が赤いサンケイ出版の例のシリーズです。
著者は戦史・戦術研究家の元・英国陸軍大佐A・J・パーカー氏。
 
非常に客観的な視点で描かれている点が優れていると思いました。
ただこの方は陸軍出身なので、スペシャリストとして「海戦」についてはどうなのでしょうか…。
シロウト丸出しの疑問。
 
さて、この戦いの帰趨を決したのは、日本海軍の主幹艦隊の偵察の不備であることはよく知られています。
日本陸軍は、世界に先駆けて戦略偵察機を開発するなど「偵察」の重要性を認識していましたが(猪突猛進ばかりではなかったのです;)、海軍については偵察行動の優先順位は低いものでした。
 
この海戦に先立つ珊瑚海海戦では、史上初の機動部隊同士の海戦となりましたが、経験・練度で遥かに勝る筈の日本艦隊は敵に大打撃を与えるも一時撤退を余儀なくされ、実質的には痛み分け、戦略的敗北とさえ言われる戦いになってしまいました。
この原因も、偵察機の要員の練度不足によって敵艦を誤認したことが非常に大きな痛手となりました(米側は一応熟練要員を使っていた)。
 
もしこの戦訓が十分に中枢部に浸透し、きちんと対応されていたなら、偵察機の故障に対応して代替の艦上攻撃機を飛ばすなどの措置は十分考えられた筈です。
対地対艦攻撃の戦力である艦上攻撃機は、戦闘機を消耗してしまったら使えない機種ですから、撃墜されるリスクを考えても偵察に出撃させるべきでした。
 
などと今更言ってみても始まらないことですが(^^;
 
いずれにせよ、敵の動向をまったく掴めなかった日本艦隊は完全な奇襲攻撃を受ける形となり、積み替え作業中だった爆弾の誘爆という、空母が攻撃される形としては最悪なタイミングで攻撃を受け、あっという間に3空母が戦闘不能、残る飛龍もヨークタウン1隻を道連れに戦闘不能状態になってしまいます。
そして、空母の支援なしに作戦の続行は困難と判断した海軍は撤退を決定します。
 
そもそもミッドウェーに戦略的な価値があるのかどうかも議論されるところではあります。
むしろ、この戦いは敵空母をおびき出すことに主眼を置くべき戦いだったのではないかとさえ思えるんですが、これは結果論。
ミッドウェー攻略の意図は敵に伝わっていないという前提で作戦が進行していた以上、敵機動部隊の展開はまさに晴天の霹靂だったにちがいありません。

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